のレビューです。初回版はロットアップしてるらしいです。中古屋さんで5000円くらいなので、気になった方は中古屋さんに行きましょう←
えと、レビューのほうは馬鹿みたいに長いです。本当はこんなに書くつもりは無かったんです。実を言いますと、一言感想はまんまツイッターで呟いたヤツなんですけど、それを自分なりに膨らませていったらこんな感じになりました。
評価(☆→★→◎→○→△→×)
シナリオ◎なかなか楽しめました。
グラフィック☆素晴らしい。とくに克氏。
エッチ○テキストが若干弱めです。愛のチカラって感じ。
サウンド・ボイス☆ 杏奈=声優本人の素が出てるような…。
ゲームシステム☆一流どころ。文句なし。
枝葉が青々と生い茂ってて根元が細くて頼りない木よりも、枝葉がそこそこついてて根元がどっしりとして幹回りの太い木の方が、木としての見栄えはいい。トゥルーエンドに至る過程がどうあれ、その結末の部分は枝葉よりも秀でていなければならぬ。とすると、この物語は見栄えは文句なしにいい。魅せ方が巧いのである。(本文では、マルチエンドとかトゥルーエンドに関する戯言をつらつらと。)
マルチエンディング、もしくはマルチエンドと呼称されるシステムがある。
いつの頃からかゲーム業界で深く取り入れられ、今日の美少女ゲームには、さも当たり前のごとく根付いているシステムだ。筆者の側が用意した幾筋かに分かたれた物語を、ある程度プレイヤーの手に委ねる―主に、プレイヤーに選択肢を提示していずれかを選ばせる―ことによって、基本的には全く同じ設定でもっていくつものお話を楽しめるように配慮されている。
マルチエンディングシステムを導入したゲームが氾濫しているのは、もう誰の目から見ても明らかだろう。一本のゲームから、幾筋もの物語を矛盾なく成立、帰結させることが可能な手軽さは、“御都合主義”という便利な単語に置き換えられるような、“出来合えもの”に対する危うい賛美すら孕んでいる。
美少女ゲームにおけるその功罪に関しては、
ryomarkさんの「Clear -クリア-」の感想
http://erogamescape.ddo.jp/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?uid=ryomark&game=8398
のレビューに明るいので、参照されたい。
いずれにせよ、テキストを読ませることを念頭に置いたゲームにとって、このシステムはどこからどう見ても波長が合っていた。こと美少女ゲームにおいては、「いち主要キャラクターという存在を、いちヒロインに仕立て上げる手法」としても非常に優秀だと言えよう。今では、数え切れないほどの美少女ゲームがこのシステムを採用、もしくは踏襲している。
さて、今日においては、マルチエンディング方式が存在の前提条件である
トゥルーエンドなる物にも、目を向けねばなるまい。トゥルーエンドとは、読んで字の如く 「True」(真実の) 「End」(結末)であり、美少女ゲームでは、制作者側の真意がそこに配されているものが多いと考えられる。ストーリーを介して我々プレイヤーに何を伝えたかったのか……、この物語がどういうものだったのか……。いわば、正統なストーリーと言っても決して大げさな表現ではない。
大概のトゥルーエンドは物語の尾部に存在するが、その存在の有無はケースバイケースだ。たとえば、トゥルーエンドと呼べるに相応しいエンディングが用意されていない作品もあったり、ハッピーエンドに限らず凄惨なバッドエンドを迎える作品もあったりと、その存在も結末も多種多様である。
この要素は、物語のフィナーレを飾るに相応しいシナリオとして、隠し要素にされている事が多い。そのため、個別ルートのみをプレイしただけでは、作者の真意を測りかねるといった事態もままあり、昨今のゲームにありがちな「複数回プレイしなければならない」という制約は、
ある種のプレイヤーにとっては得心できない部分でもあるように思う。
さて、物語全体を一本の木に例えれば、
個別エンドは枝葉のようなものであり、トゥルーエンドは巨躯を支える太い幹のようなものだと思う。枝葉が青々と生い茂っているにもかかわらず根元が細くて頼りない木よりも、枝葉がそこそこついており根元はどっしりとして幹回りの太い木の方が、木としての見栄えはいいはずだ。そうすると、トゥルーエンドに至る過程がどうあれ、その結末の部分は枝葉よりも秀でていなければならないはずなのだ。
ユーザー側はユーザー側で、トゥルーエンドの解釈に重きを置きがちな一面があるが、それはいたって自然である。作者の真意や作品にかける意欲が、物語の尾部に表れがちなのは言うまでもないことがゆえに―――そこに目を向ける事に罪はなかろう。
トゥルーエンドに対する奴隷化、盲従化はある程度許容されるべきと思う。
トゥルーエンドは、他の枝葉の部分よりもしっかり魅せたいとする制作者側の労苦は測られるべきである。それと同時に、トゥルーエンドに行き着くまでのプレイヤー側の労苦も、また忘れられるべきではない。いずれにせよ、その匙加減は絶妙なまでに職人芸的であり、全てが限りなくハイクオリティな作品を創出するのは並大抵のことではないはずだ。
これらの点を慮るとすれば、「未来ノスタルジア」という作品は、「
べた褒めすることはできないけど、足蹴にされる作品でもないんじゃないかな」………という気がする。
ストーリー運びは、エロゲーとしてはいたってオーソドックス。日常風景から萌え、クライマックスにいたるまで、抑えるべきところは抑えましたという王道指向の強い意識が見て取れる。
テキストは軽快で読みやすく、ギャグシーンの掛け合いはなかなかのものだ。文章からはアクの強さはさほど感じられず、素直で癖のない文体と言っていい。ライトノベルとまではいかないが、テンポの良さでもって文章を投げ込んでくる軟投派という印象がある。ただし日常シーンが飽和気味で体感的に間延びして感じられ、物語を読破する前に少々ダレが生じてしまった。
トゥルーエンドと個別エンドのバランスについては、格差が如実に表れており、筆者が明確に他と区別したトゥルーエンドの方は、たしかに読み応えがあった。だが、その高低差に目を向けて物申すとすれば、如何せん伊織エンドを除く個別エンドとは乖離のある様相を呈している。
実際に、当の杏奈エンドは群を抜いており、次いで伊織、詩、双子という順で読み応えがあった。総合的には、どのルートもご都合主義で塗り固められているため、その手の手法を気に入らないプレイヤーには作品そのもののプレイを推奨できかねる。
また、伊織と詩はまだしも、双子エンドはトゥルーエンドである杏奈エンドとはかなり毛色を異にするストーリーであり、“ミニ”ガイドラインに近い感を受けた。基本的に杏奈は共通、個別ではカメオ出演という位置づけである。とくにその傾向が顕著に出ている双子のルートは、個別エンドとして見るとテキスト云々よりもまず、内容で水をあけられてしまっている。出来も今ひとつという感が強く、ここでは割愛させていただく。
伊織と詩は物語の中枢と深い関連性がある。
姫……じゃない、詩ルートは杏奈が結果的に詩の背中を押したパターン。詩の素直さ、嘘をつけない性格が全面に押し出された“いい”お話となっている。お姫様と王子様だったら、もうそれは仕方ない。「あ、これはこれでなんかいいな」と思えた。
ベタもベタだが、超能力をことさらに強調していないのがポイントだろう。テキスト量もダレない程度に抑えられている。
普通に読めるお話が一つくらいあってもいい。そういう意味では、清涼剤のようなお話だ。
詩エンドは杏奈が思い描く現在の形………の一つだと思いたい。しかし、この結末は、杏奈自身にとってはどうなんだろう。私から見ると不憫に思えてならない。
伊織ルートは物語の発端となる事件が未来に存在しているという設定のため、決して無視できない部分だろう。物語自体は意外なほどオーソドックスで、超常現象設定が無ければ、月並みな恋愛劇といった印象だ。やはり日常シーンの水増し感は拭えないが、萌えゲー好きに受けがいいツボはちゃんと抑えてあり、個人的には中の上といった読後感である。
伊織ルートでの杏奈の介入が中途半端に感じられてしまうのは、杏奈の気の迷いか優しさか。
「あたしが加わったら、陽一の――あなたたちの思い出を変えることになってしまう」
―――「未来ノスタルジア」本編より私は後者だと信じたい。
伊織ルートで起こる事は、伊織にとってはベストだったかもしれないが、杏奈にとっては報われないエンドとなっており、若干締まりが悪くなっている。ネタバレ感が強いシナリオであるが、ロックがかかってないのは構成上の問題だろう。
そしてフィナーレを飾るのが杏奈シナリオである。彼女の目的を慮れば、杏奈こそがヒロインofヒロインでなくてはならないのは確か。最後にプレイしなければならない彼女のトゥルーエンドが秀でて見えるのは、致し方ないところである。
「あたしは、陽一を死なせたくない」
「だから、そのためだったらなんでもするわ。可能性があるんだったら、それに賭けてみせる」
「神様だって、悪魔にだってケンカを吹っかけてみせるわ」
「そして、絶対に陽一を助けてみせる」
―――「未来ノスタルジア」本編よりストーリーで最も感じたのは、杏奈の意志の強さだった。自らが死ぬ可能性すら厭わず、時を越えてまでやってきた覚悟。未来篇はその理由が剥き出しになっているのだが………、この
魅せ方が非常に巧い。「陽一が隠さなかったのは、あたしに選ばせるため」
―――「未来ノスタルジア」本編より彼女が下した決断と解釈に、賛同できるか否か。トゥルーエンドの価値は、そこに左右されるだろう。
個人的な話で恐縮であるが、物語を読み終えた後で最も気に入ったシーンは、物語の冒頭であった。桜が散っていくさまを思い返すと、そこから杏奈の
“潔さ”や“無常”を感じ取ることができたからである。
杏奈エンドの出来は実際にいい。しかし、思った以上に杏奈エンドがことのほか高められて見えるのは……おそらく
伊織エンドが一つしか“見えない”ことに起因する。いや、描かれなかったというべきか。
構成上、歴史の改変が全くうまくいかなかった場合であっても、その行程を作中で完璧に再現していれば、伊織エンドこそがトゥルーエンドに昇格する可能性は捨て切れなかったと思うからだ。時を飛ぶ異能者という役割を担った杏奈を特別視したがゆえに、“伊織が生きないエンド”は作中では現実世界の中で克明に描かれなかったように思う。(杏奈ルートには事後の未来が描写されているが、かの描写は正確には“エンド”ではない。)
とはいえ、これはこれで物語として成立しているのはたしか。プレイヤーが考えうる数限りない未来の可能性という枠組みの中で、物語として視認できた未来はごくごく僅かなものである。“幸せなほうの未来”だけを見せられたからこそ、総合的にヒロインとのハッピーエンド集としてまとめてある感を受けた。その制作者側サイドの意図は推して量るべきであろう。
甲.個別は平凡だが、トゥルーはそれと比べて優秀。
乙.個別は優秀だが、トゥルーはそれと比べて平凡。さて、あえて“丙”は書かなかったが、個別もトゥルーも優れている作品など、現実に指折り数えるほどしかない。
もし、杏奈がトゥルーではなく個別ヒロインの一人としか見られなかったのであれば、彼女の特殊な立ち位置や想いの強さは薄らいでしまい、プレイする順番によっては彼女自身の身勝手さを糾弾する声も聞かれたことだろう。
逆説的に言うと、個別エンドはトゥルーエンドよりも低い位置にあるほうがよりよいとは、なんとも釈然としない類の話ではある。しかし、よくよく考えると、トゥルーエンドに秀でた作品がより高められる傾向にあるのは章々たる帰結ではないだろうか。どう考えても、読後感がいいのは“甲”の方だろう。
そのぶんプレイヤーは自由にルートを選べなくなるが、この「未来ノスタルジア」という物語に関して、それ自体は決して不幸ではなかったはずだ。そう考えると、杏奈という存在が幹となって枝葉をつけているほうが、私個人としてはしっくりくるわけである。結果的に伊織は割を食ったわけであるが、私は杏奈エンド=トゥルーエンドという構成には満足している。
ただし、果たしてどれが“正史”かと言うのは、一介のプレイヤーである私が決めつけるのは野暮というものである。たしかに杏奈ルートにはロックがかかっており、本レビューにおいてもトゥルーエンドという紛らわしい言い回しになってしまっているが、必ずしもトゥルーエンド=正史ではない気がする。杏奈ルートでも他のルートと同様に、修正が入ってしまっているからだ。修正を入れた挙句に正史呼ばわりとは、私としてはなんとも不思議な感覚がしたのである。
私自身は“
伊織と結ばれて、彼女が死亡し、その後に陽一もいなくなる”ルートこそが正史だと思う。結ばれたにもかかわらず結果的にヒロインが死亡するのは、このルートをおいて他に類を見ない。また、杏奈が未来から飛んでくる目的から察するに、他のルートでは一応の修正が成功していると言ってよいからである。
―――未来の人間が現在を郷愁する物語―――
―――現在の人間が未来の追憶を郷愁する物語―――
(そもそもこの表現は矛盾しているのだが)未来なのに、どことなく懐かさを感じる。
ストンと腑に落ちるいいタイトルをつけたものだと、最後の最後に感心したのであった。
いま一度トゥルーエンドの価値、意義というものと若輩なりに再考してみたところで、グラフィックやシステムといった評価を以下に連ねておきたい。
【グラフィック】
なんと言っても、克氏キャラクターの
ロケットおっぱいが視覚効果倍増と言った具合で大変よろしい。乳というより乳首の描き方が大変けしからんのである。C:Drive(ステルラエクエス)やチェーンリアクション(巫女だし)で見慣れていたとしても、そのエロさはテカテカした光沢の強い塗りと相俟って相乗効果を生み出している気がする。
今年度は妙なるおっぱいゲーとして「カミカゼ☆エクスプローラー」が話題になったが、おっぱいで言うなら「未来ノスタルジア」も一部のCGでは負けてはいない。「カミカゼ」が
“ばいーん”とか
“ぼいーん”で形容される丸みが際立つ(某キャラはろけっとぼいーんであるが)のに対し、「未来ノスタルジア」における克氏のそれは、
“ずきゅーん”と形容したくなる先端の尖り具合がいい感じだ。
ぐにゃぐにゃと動く伊織と杏奈の乳はもちろん必見であるが、詩のちっぱいのとんがり具合にも驚かされた。
惜しむらくは、そのCGを盛り立てるテキスト、
台詞回しがそれほどエロくない点である。このところ、エロシーンでは桁違いに妖艶になったり、とんでもない超絶技巧を発揮したりするキャラクターが流行しているように思われるが、「未来ノスタルジア」のテキストはどちらかというと保守的で、伏字や卑語はただの一つも用いられない。あくまでも、エロはテーマの上澄みの一つに過ぎぬという感が強く、“想いの丈”で描いているきらいが見受けられる。ねちっこさが足りないのである。
それを切り取って回想シーンに持って行ってしまったが最後、実用度という点では、その評価を少なからず落としてしまうことだろう。
立ち絵による会話が大勢を占めているにもかかわらず、SDキャラが用いられていないのは寂しい。若干、画面変化に乏しい気がする。
【音楽】
主題歌
「未来ノスタルジア」、「未来図」がともにいい。前者はとくにイントロが印象的で、郷愁の感がうまく伝わってくる一曲に仕上がっていると思う。「未来ノスタルジア-instrumental-」バージョンはもちろん、「幾億の思い」や「待ち人来たりて」も聴ける楽曲。各ヒロインのテーマ曲の中では、「SAKURA Precognition」が印象的であった。
音楽面に関しては、全体的にそつがない。
【システムまわり】
シナリオの陰に隠れているが、
システム関係は極めて優秀と言える。クイックジャンプや選択肢バックはもちろん搭載。親切設計で非常に使い勝手が良く、長時間のプレイにも断続的なプレイにも耐えうる仕様はお見事の一言だ。ビギナーには少々煩雑で判りづらい面もあるかもしれないが、これと言った不具合も無いため、スペックさえ気をつけていれば、安心してプレイに臨めるはずである。これについては、賛辞を惜しむべきではないだろう。それに、少々スペックが不足していてもスムーズに動くようである。
音声再生速度も設定できるとあって、時間に追われる現代人エロゲーマーにとってはありがたい。「少し速い」に設定すれば、内容は頭に入りつつもかなり加速気味にプレイできる。興味の薄いキャラクターは、この機能が有用であろうか。さほど使わないかもしれないが。
また、フォントの多彩さは圧巻の一言だ。ただし、選択したフォントによっては、機種依存の関係で「・」表記になってしまう文字(富士ポップなど)がある模様。注意されたい。オススメはHG創英角ポップ体か、EG創英プレゼンスEB。
【雑多】
・タイトル画面放置後の小噺がいちいち細かくて嬉しい。
・立ち絵を用いた状態で複数人が会話しているときに、プレイヤーが酔うことがあるかもしれない。
発言者から発言者へと急に視点移動することがあり、画面が左右に目まぐる
しく動くためである。
長々と申し訳ありませんでした。以上です。
【雑記】
フォントを魚石行書に変えてみたんですが、
クロがものっすごくいい雰囲気を出すようになって、思わずうなってしまいました。近い将来、キャラクターごとにフォントを改変が可能…………なんてこともあり得るのかもしれませんね。
ラジオも聴いてみました。風音さんってまんま杏奈ですね。これは当たり役でしょうなあ。