「光輪の国、ラベンダーの少女」のレビューです。なんだか旧作ばかりで、時代に取り残されているような感がありますね。新作のレビューも少しずつ書ければと思っております。
評価(☆→★→◎→○→△→×)
シナリオ×
グラフィック☆
エッチ◎
サウンド・ボイス◎
ゲームシステム○
車輪の続編ということだが、この作品は断じて続編などではない。これは、車輪の国に対する一つの解釈だ。るーすぼーい以前にるーすぼーいはいなかったからこそ評価に値するが、おそらく渋谷ハヤト以後に渋谷ハヤトは幾人も出てくるだろう。“光輪の町”の名の通り、この作品は車輪の国の側面を見せただけに過ぎず、続編と銘を打つには書き足りない。
「あの感動をもう一度―――」 この売り文句に、これほど違和感を覚える作品も少ない。なんでもこの作品は、「車輪の国、向日葵の少女」(以後、「車輪の国」)の続編だという。しかし、「車輪の国」という作品は、法の象徴である法月正臣の裏面が明らかにされたFD「車輪の国、悠久の少年少女」にて、一応の完結を見た作品だったはず…………そう思っていた。
正義・慈悲・愛という無形物を法律で絡めとった「車輪の国」は、極限までディストピアの性質を高めたものだった。
理不尽なまでの強権を持つ特別高等人と、
理不尽すぎるほど感情を遮断した理屈的義務、
そして、理不尽なまでに人を管理下に置く事の気持ち悪さ。
―――この3点を私たちに突きつけた。しかし、筆者のるーすぼーい自身が法月を退場させたことで、そのディストピア体制は暗に否定されたのである。
続く「車輪の国、悠久の少年少女」では、法月の過去が明かされ、ディストピアに対し絶望する在りし日の阿久津(法月の旧姓)正臣と、それを打ち砕こうとする法月自身の最期を描いた。義務を解消した原作キャラクター達のアフターシナリオの存在と合わせると、もはやこれこそが続編であると言っているも同然である。本来ならばそこで打ち止めの作品であり、法月の過去が白日の下に晒された時点で、物語としての効力を失ったように私は思う。
だからこそ、この作品には違和しか感じない。そもそも車輪の国という世界は、るーすぼーいの形成した世界観であり、課せられる義務は、その世界独自の法であるはずだ。そこに、るーすぼーい以外の人物が創り出した法が存在することは、なんとも奇妙な話ではないだろうか。
渋谷が提示した「絆を持てない」という義務は、この世界における新たな法の提案であり、言わば一つの可能性に留まる。彼は“車輪の国”というディストピア溢れる世界を、彼なりに解釈したに過ぎないのである。この作品は続編などではなく、ひとつの解釈として捉えるべきで、「車輪の国」に並びこそすれ、それを超える資格はないように思う。
これは、かつて沼正三が生みだしたヤプーの世界に継ぎ足しをした有象無象の文章のようなもので、タイトルの“光輪の町”は、その名の冠するとおり車輪の国の一部でしかない。私が渋谷以後に渋谷が出ると信じてやまないのは、まさにこの点に尽きるのである。
その義務はさておき、以下ではダメ出しをさせていただく。ご容赦願いたい。
トリッキーな物語の展開は、るーすぼーいの流用と疑われても仕方のないところである。いかにも「めでたし、めでたし」というフレーズが流れそうな時に、ババーン!と登場するのは決まって悪役であり、この作品も例外ではない。しかし、原作というお手本がありながら、みすみすそれと類似した叙述トリックを使っていては読者も容易に察するというもの。それでは、トリックが最初から成り立っていないも同義である。こういった手合いは、ミスリードさせられるからエンターテイナー足りうると言えよう。結論から言えば、今作で驚かされることはなかった。
そもそものシナリオの展開が、なんとも微妙な点にも注意したい。
脱出&逃亡劇はお粗末の一言だ。ゲリラ生活的な展開は明らかに読者の興を削いでいる。原作でもさちルートの洞窟探検の部分は、違和を感じる点の一つであったが、こちらも負けじと違和感のある逃亡劇を演じてくれるから、冷めるのも早い。部活動を話の軸に据えた点も逃亡劇同様、最後の最後まで疑問が残った。なにゆえスポ根ものでも敬遠されがちな剣道を題材としたかについては、いくら自問自答しても答えが出ず、なお理解に苦しんでいる。部活動といい、合宿即大会結果準優勝といい、総じて物語が突飛すぎるのである。緩急がついていない。
また、法月のような厳然たる存在感が水嶋から感じられないため、なかなか特別高等人の絶対的な権力が伝わってこないし、今作で主人公に課せられた義務とやらも、「車輪の国」と比べると拘束力が弱すぎてインパクトに欠ける(璃々子の「この世に存在を認められない義務」が強烈過ぎたせいもある)。私にとっては、当の義務を負っているのが主人公というの事からして気に食わないのだが、それ以上に辟易したのは、プレイヤーの嗜好如何で個別エンドが用意されていたことである。これは、車輪の国の続編として考えるならとても不自然なことで、「義務を負っているにもかかわらず、特定のヒロインと長くいる選択をしたから、彼女のルートに分岐した」としか映らないのは如何なものかと思う。車輪の国を土台としているのなら、もっと選択肢にも意味を持たせてほしかった。
確かなことは、最終的に法月と同じ立ち位置にいる水嶋が折れるので、渋谷もディストピアについては否定的な見解を持っているということだ。ディストピアについては、人それぞれの考えがあると思うので、ここでは私の考えは省きたい。
「車輪の国」と比してスケールがあまりにも小さい。巷の評価では「車輪の国」の続編として見なければこの作品は高められているようだが、もし車輪の国が土台になかったならば、私はただのスポ根ものとして敬遠してしまったに違いない。皮肉にも、車輪の続編という文句に釣られてしまったわけであるが、原作の掌にあるが故にこうして色々と考える作品だとも思う。
ひとたびその世界を飛び出せば、この作品は、途端に輝きを失う危うさを秘めていた。予期しないファンディスクと見ればある程度は評価できるものの、続編と銘打つには全くの研究不足であるのは明白であろう。
最後に。明らかに濡れ場の文章が弱い。どうにも説明的で盛り上がりに欠けるし、「暁の護衛」のような喘ぎ声だけというのも、いかがなものかと思う。肉感的な絵は全く問題ないだけに改善を。
【雑記】
好きな人には、なんだか申し訳ない感想になってしまいました。
原作では南雲えりがすぐ殺されたことに賛否がありましたが、ああやってきっちりと功罪を分けないと、今作のように法の絶対性が甘くなるというのが見て取れたような気がします。その正誤は別にして。
- - - - - コ コ マ デ レ ビ ュ ー - - - - -
長文読了ありがとうございました~。二極化しちゃうのも納得の作品でした。ちょっと文句言いすぎたかも。
さてと、このレビューには書きたくなかったんで、あえてここに書かせていただくことがあります。車輪の国の続編っていうのは、もしかしたら「G線上の魔王」を指しているのかも……とこのレビューを書きながら感じているんですねー。いやまあ、これは私の妄言なのでスルーでどうぞ。
ま、ちょっと言わないで後悔するのはイヤなので続けますね。ええと、「車輪の国、悠久の少年少女」も、FDとして見ると均整が取れていて申し分ない出来だとは思うんです。ですが、どうも「G線上の魔王」というのは、車輪の国の正史としての続編なのかなー、と考えているところでして。車輪と魔王のテーマ性はピタリと合致していますし、なにより物語構成が一緒ですからね。ライターが同じにしても、ここまで近似させる必要性があったのかと勘繰ってはみたものの、答えは出てきませんでした。ただ、あまりにも似てるなーという感じを受けたので。
私のような指摘はおそらくマジョリティで、他に同様の考えを持つ人にはあまり会ったことがありません。もしかしたら、ファンの方に相当なご不快を与えているかもしれません。もう少し自分の頭の中で整理させてから、「G線上の魔王」のレビューは文章を推敲したいと思ってます。大部分を書いてはいるんですけど、かれこれ3年くらい考えていて、どうも自分でピンとこないというか突拍子もないというか。だいたい、そんな感じです。
……最期は戯言紛いになりました。またお会いしましょう。
スポンサーサイト